糖尿病を知れば糖尿病なんて怖くない。怖いのは糖尿病に対する無関心。糖尿病に関心を持つことが糖尿病対策の第一歩。

30歳で糖尿病に32歳でインシュリン自己注射のサラリーマンの教訓 - 糖尿病奮闘記 -

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ここから、このステージの本題です。糖尿病になるまでのわたしの生活・性格についてお話していきます。


わたしが小学生の頃に父の事業が失敗しました。当時の両親は生きていくために必死で、その姿を見ていたわたしは小学生ながら欲しいものは自分の力で手に入れなければならないと思うようになったのです。


− うん?こんなん糖尿病と関係があるの?(天の声)

− もちろん、ありますとも。
  糖尿病のわたしの内側をお見せしているのですから(わたしの声)


中学2年生になったとき、どうしてもパソコンが欲しくなり、パソコンを買うためにはお金を稼がなくてはならないと思い、中学校の許可を得て、新聞配達をすることにしたのです。


毎朝、4時には起床し、自転車の前かごと後ろに新聞を乗せて100件程の家に新聞を配達していました。その時は田舎に住んでいたため、家と家との間が非常に遠かったことが記憶に残っております。


さすがに田舎なので、犬は放し飼いで吠えられるし、ポストに蛇が巻き付いていたりと恐怖を味わうことも多々ありました。


しかし田舎の人の朝は早く、わたしが新聞を配っていたときにはすでに畑仕事をしており、新鮮な野菜をもらうこともありました。


そんなこんなで、新聞配達で貯めた給料(毎日働いて1ヶ月2万円だったと思います。)で念願のパソコンを購入したのです。


このときの感激はいまでも忘れません。いまだにわたしの心の奥底には息づいています。


父の事業の失敗という困難な状況であっても、自らが考えて行動することによって欲しいものが得られたという体験ができたのです。言い換えれば、この体験は父の事業の失敗という困難がなければ、これほどまでの感激を味わうことはできかったのです。


この経験を起点に、困難を頑張って乗り越えたらそこには普段の生活では味わえない喜びが存在しているということに気づき、さらに自分を成長させてくれるものだと信じるようになりました。


また、それからの人生は困難があると、頑張ってやりこなせば格別な喜びを味わえると、辛いながらも自分を奮い立たせてきました。


この考え方が糖尿病に関係してくるとはこのときはまだ気づきませんでした。


− 気づかなくて当たり前ですよね・・・。この時点では(わたしの声)


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