阪神大震災で生き延びたわたし
阪神大震災から12年もたったんですね。当時、わたしはまだ大学生で、神戸市灘区で一人暮らしをしていました。一人暮らしというと快適な生活を想像するかもしれませんが、うちの大学の学生はそんなに裕福ではなかったような気がします。
同級生の間では一人暮らしをしている部屋にトイレがあって、さらに風呂もある家を「邸」と呼びます。「はしもと邸」という感じです。また、トイレだけがある部屋を「小屋」と呼びます。「はしもと小屋」という感じです。さらにトイレもない部屋は「ホイホイ」と呼びます。わたしの場合は「はしもとホイホイ」です。
さすがにわたしはトイレだけは自分のペースでしたいので、トイレ付きの「はしもと小屋」に住んでいました。家賃は確か3万円ぐらいの雑居ビルです。もちろん防音なんてものはなく、隣の住人の声がまる聞こえのプライバシーの存在しない部屋でした。また、わたしの同級生は6割が「小屋」で3割が「ホイホイ」で1人だけ「邸」に住んでいたように記憶しています。
もちろん耐震住宅であるわけもないそんな場所に阪神大震災が起きたのです。結論から言いますと、わたしは生き残りました。実は、わたしは阪神大震災は体験していません。ちょうど、阪神大震災が起こる1週間前にパチスロで大勝ちをして、高校時代の友人達とスキーに行っていたのです。
そして、「はしもと小屋」どうなったのか・・・。もちろん全壊です。
わたしが住んでいた雑居ビルを横から見たところ
全壊した雑居ビルの瓦礫の上から見たところ
この写真を見れば分かると思いますが、わたしが阪神大震災の当日、ここにいたのならわたしは間違いなく圧死していたでしょう。実際にここに住んでた方は何人もお亡くなりになられました。
奇跡的に生き残ったわたしがなった病気が糖尿病。あの時、神様がわたしを生き延びさせてくれたのは、「お前にはまだ糖尿病のイメージを変えるという大きな仕事が残っている。」そう言っているに違いないから、わたしは糖尿病になってしまったとそう思うようにしています。(プラス思考は大切です。)
と言いつつ、昨日もまた飲んでしまった・・・。
いま、糖尿病奮闘記は何位?
更新日 : 2007年01月17日 06:24
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